NARO の『心』・・・皆呂充亮 編 その2

「軟庭人の居心地のいい店」が原点
1980年代後半から90年代前半の約10年間、当時、ほとんどのショップでソフトテニス用具は硬式テニスの脇に置かれていた。ナロさんが勤めていたショップでも、1階のフロアが硬式テニスのラケット、3階の一角がソフトテニス用具という配置だった。
「ソフトテニスは肩身の狭い思いをしていました」(ナロさん)
東京・山手線沿線の各駅に硬式テニスの専門店はあっても、ソフトテニスの店はなかった。だが、考えてみればソフトテニスの専門店がない=ライバルがいない。それは、もしかして「ビジネスチャンスなのか」。ナロさんは、片っ端から相談した。10人相談して9人が、「なんでソフトテニス?」「そんなに商売は甘くない」と反対した。その中で1人だけ「やってみたらいい」と。
「この言葉を待っていたのかもしれません」(ナロさん)
自身では勝算があると信じていた。この決断が、1986年、ソフトテニス界初の専門店誕生へとつながっていった。
ショップをつくるにあたって一番の思いは、「軟庭人の居心地のいい店」にすること。オープンすると、近郊の愛好者、そしてときには遠方から「naro」に足を運んでくれる人々も。とにもかくにも立ち寄る人々にとって、夢にまでみたソフトテニス専門店だった。それまでは、スポーツショップで自分がほしい用具が置いてあるのかもわからない。軟式テニス愛好者はそんな不安を抱いていたはずだ。それが、「naro」に行けば軟式テニスの用具はすべてそろう! 「naro」の存在が、ソフトテニスをするにあたっての "必要不可欠なライフライン" ともいえた。
私事になるが、筆者も学生時代、「ガット切れたから『naro』で張ってもらってくる」と言ってはよく通っていた。いつでもそこには、ソフトテニスを通じてつながった仲間がいる。そんなふうに「行きつけ」ができたことが、うれしくてたまらなかった。
こんなエピソードもある。『ソフトテニス・オンライン』の生みの親・F氏が高校生のとき、決して強豪校というわけではなかったが、「関東大会に出場できることになった」とナロさんに報告しに行ったという。そのとき、「ナロさんがすごく喜んでくれたことが忘れられない」とF氏。その後、ナロさんの息子がF氏の母校の後輩となり、F氏はソフトテニス・オンラインを立ち上げる。どんどんソフトテニスの縁がつながっていく――。「naro」でのうれしい思い出、これもF氏のソフトテニス愛の原動力の一端であるように思えてしかたがない。